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Jane Birkin X Charlotte Gainsbourg in Cannes

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Q:『シャルロットとジェーン』は素晴らしい作品でした。シャルロット、あなたは東京やニューヨーク、パリのヴェルヌイユ通りなどで、ジェーンを追い、そこで彼女が過ごす様子を撮影したわけですが、この作品には何か心をかき乱すものが感じられました。

シャルロット(以下CG):どうやって撮影していったらいいのか、かなり頭を悩ませました。撮影するという行為そのものが、母にとって威圧的に感じられることにもなりかねません。でも、やってみたいという気持ちはありました。最初の頃は、まだ明確なヴィジョンありませんでした。自分でも何をしたいのか定まらないところもあったのです。しかしその基本は母の人となりを描きたい、出来るだけ母を追いかけてみたいという想いだけでした。ちょうど当時私はニューヨークという、遠い場所にいた時だったので、母の側にいることができ、彼女を見つめるための口実にもなると思いました。他にも『BIRKIN GAINSBOURG LE SYMPHONIQUE』のコンサートを見たら、ものすごく感動的だったので、自分でも何か表現してみたいと思うようになったのです。母の方も私の気持ちに乗ってくれました。最初のうちは台本も何もないような企画だったのに…なんというか…最初はうまくいかなかった。母に対して不用意に微妙な問題に触れてしまうとか、とにかくぎこちなくて。でもそんな風に「不器用」なのが、私の作品とも言えるわけです。それでその後、時間をかけて、何をやりたいのか考えを整理して、お互いリラックス出来るようにしながら、いくつもの段階や機会を経て出来た作品です。

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Q:ジェーン、あなたはシャルロットのカメラの前に立つ事を、すんなり引き受けたのですか?

ジェーン(以下JB):いえ、最初はすぐには引き受けませんでした。東京の小さな旅館で撮影されたファースト・シーンでは、とても戸惑ってしまって。聞かれた質問に完全に狼狽えてしまったのです。なんて答えたら良いのかわからないし、自分をどう正当化すればよいのかもわからなくて、「もしこんな感じでやるなら、やめてしまいたい」と思いました。でもその後、シャルロットが暮らしていたニューヨークで、彼女をより近くに感じることができるようになると、急にすべてがずっと柔らく感じられて、それで余計な力を抜くことができたように思います。緊張が解けて、それからは、あらゆることが甘美に感じられるようになりました。映画をどう終わらせるかなど話し合うこともなく、ただただ特別な時間が流れていきました。そこにはシャルロットの様々な想いがあるだけで、とにかく私にはわかったんです、彼女の問いかけは、私のポートレートを描くためだけでなく、彼女自身、自分が何者であるかを探すためのものだということを。そしてまさにそこに、この作品の面白さがあるのです。私は同じことを、アニエス・ヴァルダの作品で感じていました。彼女が私に託した役は、実は彼女自身なわけで、本当は彼女自身が演じたかった役なのです。今回のプロジェクトが持つ密度の濃さでいえば、当初私は、イングリッド・バーグマンが主演したベルイマン監督の作品、ピアニストの女性とその娘を描いた作品ですね、あれに似ているかなと思いましたが、そういう面も少しありつつ、全く型にはまらない作品であるからこそ、皆も驚いたのだろうと思います。

Cannes 2021

Q;とても胸に迫る作品でしたが、と同時に、まさにジェーンがそこにいるように感覚を抱かせる映画でもありました。彼女は皆の憧れの的のような存在ですが、お二人を素敵だなと思ったのは、彼女の肌の肉体の質感を撮ったかと思えば、庭いじりをするジェーンを撮ったりしていますよね。

CG:それは、まさに母がとても大らかだったからで、私のためにいくらでも時間を割いてくれましたし、そのうちメイクや事前の準備なしにより自然な形で撮影に応じてくれるようになったからです。果たして自分が母に信頼を寄せていたからなのかわかりませんが…もちろん私は母を信頼していたけれど、母の方が、何もわからないまま、あんな風に参加してくれるとは思っていなかったので、今改めて母にはとても感謝しています。

 というのも、終わらせ方も決まっていなかったわけです。私自身、撮っているうちに終わらせたくなくなってしまって。だから何とか色々口実をこしらえて、今度は別の場所で撮ろう、イギリスをぶらぶらしてみようとか、母の祖先の元を訪れて色々見せてもらおうとか言い出したりして。しかもその後はコロナ禍で、すべてがちょっと奇妙で特殊な感じになったのです。

Q:ヴェルヌイユ通りの家に、あなたがシャルロットと訪れるあのシーンを見て思い出すのは、確かミシェル・ランスローと一緒に、セルジュとあなたが出た番組『A bout portant』で、セルジュがピアノの傍に座っているところに、あなたがシャルロットを抱っこして登場して、セルジュが「こちらがシャルロット」とカメラに向かって紹介しますよね。そして本作で、まさにあの場所を再びお二人で訪れたわけですが、あなたにとってはどんな体験だったのでしょうか?

JB:シャルロットはあの場所を訪れることによって、私がどんな気持ちになるのかを知りたかったのでしょう。あの体験は、ちょっと子供時代に戻るような感覚で、すべてのものが記憶していたものより実際はずっと小さい、まさにそんな印象を受けました。と同時に、まるで他人のことのよう、まるで自分を別人のようにも感じました。それに、私の記憶を辿る中で、やはりセルジュの死があって、あの家にどうしても戻りたいとは思っていなかったのです。思い出は幸せなものだけではないですからね。彼が亡くなってからは、子供達はキッチンに隠れてしまうようになって、あれは悲しい光景でした。時々、あの家の前を通り過ぎることがあっても、家の方には目をやらず、出来るだけ早くサン=ペール通りに出たり、そもそもあの道を通らないようにしたり、あるいはタクシーで偶然通り過ぎることはありましたが、わざわざ訪ねていこうなどと思うことすらありませんでした。それはチェルシーにある母の家に戻りたいと思わないのと同じことです。私はとにかくチェルシーは避けています。まるでその場所が犯罪現場であるかのように。それは同時にとても辛い感情を呼び起こすことでもあります。だからこそシャルロットがやろうとしたことは、とても美しく、素晴らしいことです。実現までには何年もかかりましたが、彼女は最後までやり通した。本当に大きな契機になったと思います。もちろん、彼女自身がどう感じたのかはわかりません。だって、彼女にとっては「秘密の箱」のようなもの、唯一秘密のまま残されていたものだったわけですからね。

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Q:そうですね。シャルロットはその箱を開ける決心をしたということですね。

CG:ええ。それに、ニューヨークに渡り、距離ができたことで、可能になった部分もあると思います。とは言え、だからそれまでの30年間には出来なかったというわけではないんです。なかなか思うように進められなくて、何とか行きそうという段になって、今度は自分が後ずさりしてしまうことがあったりと、とにかく解決すべき問題が山積みだったんです。まあ今でも手つかずの問題はあるのですが。とにかく、ニューヨークにいた時に、あの家は美術館にするなり売るなりして、一区切りつけて前に進まなくてはと思い始めて、まさにそこから全てが動き出した感じです。なので自分の頭の中で具体的な形にはなっていなくても、日程とか鍵の受け渡しとか決まり始めました。

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Q:一方で、この作品からは、果敢に前に進んでいこうとするジェーンの力も感じます。驚くような生命力です。風が吹く海辺でのシーンなどもそうですが。

JB:その点では、私は自分の母のことをすごく思い出します。この作品の美しさは母娘の関係にあるわけですが、海辺にいる自分の姿を見た時、私はそこに自分ではなく母の姿を見たのです。母がこの同じ浜辺でほとんど這うように歩いていた様子を思い出したのです。あの浜辺に行くと、頭の中に残っている彼女の姿を思い出します。そして彼女の強さが、時に恋しくなります。母なら何をすべきか分かっていただろうし、信念を貫くような人でしたからね。逞しい人でした。でも本当はそうでなくて…私は母からいつも「あなたは繊細そうに見えるから得ね」と言われていました。母自身は美しいブルネット(黒褐色の髪)の女性だったので、周りからは「ジュディは逞しいから」と思われ、優しくされることもなかったわけですが、本当は彼女は繊細な人で、私の方が、一見繊細そうに見えて、実際は逞しいのかもしれない。見かけは当てにならないのに、外見が繊細そうな人には周りも親切、でも見た目がファニー・アルダンみたいだと、気遣ってもらえないわけです。『Three Tall Women(幸せの背くらべ)』という戯曲もそんな話ですけど、確かにお高い栗毛女だと周囲の扱いが違うようなことがあるわけです。でも、お高い栗毛女だろうと何だろうと、母親がいないというのは、何か不思議な感じがするものです。父親に対する思いは、分かりやすいものです。シャルロットも私もそうですが、そこにあるのは大きな愛着でしたから、父がいなくなったら生きていけないと思ったものです。私の場合は、それを乗り越えていきたいという思いもありましたが。でも母親については、ずっとそこにいてくれて、言いたかったことをいつでも言えるだろうし、そのうち母親も自分の立場を理解してくれるようになるだろうと思ってしまうものですね。私が幸運だったのは、父が亡くなった後、母にツアーに一緒に来てもらったり、少しは優しくしてあげられたことです。母が10年も長生きをしてくれて良かったとしみじみ思います。私が母に伝えたかったことを聞いてもらうことができたのですから。

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Q:そうですね。そして今はここにシャルロットがいる。シャルロットは、特別ですよね。あなた自身、常々そう言っていましたし、シャルロットにはほとんど圧倒されるようなこともあったとか。

JB:とても強い印象を与える子でした。そう感じるのは私だけじゃなくて、今でも覚えているのですが、リベット監督の撮影現場に彼女が小さな赤い傘をさして雨の中をやって来たら、誰もが動きを止めてしまいました。出演者たちが皆、ジェラルディン・チャプリンもピコリも誰もかもが振り返った。それで理解しました。私の娘は、すべての光を一身に集めながら、とても謎めいたところもあって、だからこそもっと知りたくなるような特別な子供なんだと。そんな子が部屋に入って来たわけです。まさに異質な存在です。

 それに、そんな子供に私のことをジャッジされるのは怖いものです。実際、評価というのは複雑なものです。それは多分この作品の冒頭にも言えることで、あそこで私が少し不安になったのは、自分に対する評価を聞かされても、何も取り繕うものがないということ。間違いがあるとするならもう取り返しはつかない、一体どうしたら良いの?と狼狽してしまうのです。

CG:まさに私が不器用だったのが、そこです。よくあるドキュメンタリーのようなものにはしたくないと思うあまり、パーソナルで私的な作品にしなくちゃいけない、遠慮しちゃダメだ、と考えてしまいました。

JB:でもそれは、彼女自身の指向性でもあるように思います。彼女がラース・フォン・トリアーに師事するのは、彼女自身も何らかのショックを与えるのが好きだから。それにその方が、物事を枠の中で考えるより、刺激的で危険でしょう?彼女には、そんな一面もあると思います。それまでの自分を覆されたい気持ち、他の人たちがそんな目に遭うところも見てみたい想いがあります。そしてそういうところが、この作品の魅力にもなっていて、ありきたりのところがなくて、次にどんなシーンが来るのか想像がつかない。

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Q;と同時に、シャルロットがいかにあなたを必要としているか、とてもよく伝わってきますよね。

JB:もうこれ以上は勘弁して!(笑)

CG:でも確かに、さっきママが自分のお母さんについて話していたのと同じことを、私はママについて感じている。強さとか、勇気があるところとか、好奇心旺盛なところとか、ママが自分のお母さんに対して表現した言葉をそっくりそのまま、私はママに対して使うなと思ったんです。つまり、本当にすごい人だと思うのですが、でもそれだけなく、彼女のお茶目なところや、常軌を逸したところも見て欲しいし、彼女のブルターニュの家や、彼女の本当の人となりについて、まあそれは皆さんもう知っているかもしれませんが、見てもらえれば、改めてそれがわかってもらえると思います。

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Q:そう、わかりますよね。人となりがよくわかるし、私たちはそんなジェーンのことが本当に大好きです。そのジェーンは「私はあなたのために完璧になりたかった!」と、最新アルバムで歌っていますね。

JB:娘がまさにあの曲を選んでくれて嬉しいかったわ。だって最も居心地悪い曲じゃないですか?だからこそ選んだのでしょう?大正解よ!(笑)

翻訳: 外山弥呂
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