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ローラ・キヴォロン監督インタヴュー
Photo: Rie Odawara

昨年のカンヌ国際映画祭で初公開された『Rodeoロデオ』は、キヴォロン監督にとって約10年にわたる旅の終わりを告げる作品であり、7年前に初めて出会ったライダーたちの多くを本作のエキストラとして呼び戻すことで、一つの作品の結実を提示する作品でもありました。この刺激的な新人監督にとっては、しかしそれらのことが明らかに始まりにすぎないことをも予感させます。 彼女が伝えたいストーリーが時間の経過とともに変化し、非常にカリスマ性のある主演女優を見つけることができたこと、そして、バイクのコミュニティに溶け込んだ経験の活気を反映するような撮影現場の環境を作り上げることができたことを、私たちに語ってくれました。

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登場人物の社会的状況やバイクへの興味など、あなたの短編作品「ボルチモアから遠く離れて」と同じ世界での出来事を描いていますが、『Rodeoロデオ』は全く違う方向性を示していますね。あの短編の後に『Rodeoロデオ』を撮る事になったきっかけはなんですか?

 

ええ、この2作は本当に違います。「ボルチモアから遠く離れて」は、私が彼らのグループに足を踏み入れた最初の一歩で、最初は写真家として参加しました。その後にコミュニティの一員になりました。彼らがトレーニングをしていた公道へ通い、観察することをやめなかったから、それが認められたのです。当初「ボルチモアから遠く離れて」は、彼らが置かれている社会的現実に疑問を投げかけるものでした。週末ごとに彼らと同じ時間を共有する内に、私はいつしか彼らと運命共同体のようになったわけです。そこではバーベキューをし、ふざけ合いながら、自然と撮影を始めていました。ライダーは常にアドレナリンを求めているので、ジャンキーになるようなものです。その感覚が、あの作品には染み込んでいると思います。

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そんな時、私はバーヤという女性ライダーに出会いました。彼女は本当に特別でした。彼女は、50人のライダーの中でアグレッシブに走り、男たちのコミュニテイーの中で、尊敬、評価を得るために戦わなければなりませんでした。だから、私は彼女のような女性のキャラクターを書きたいと思いました。しかしその夏以降、彼女は突然姿を消してしまい、大きな穴が開いてしまったのです。というのも、私はまだ自分の知っているコミュニティと一緒に旅をしていて、そこに彼女の姿はなかったからです。そして、この女性のキャラクターは、私がこのコミュニティで欠けていると感じた女性の表現と、政治的な側面や闘争、暴力といった私の中にある多くのものをミックスして作りました。

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撮影の2年前くらいに、ジュリアを演じるジュリー・ルドリューに会ったのですが、初対面で初めて話をしたとき、まるでファンタジーと現実が出会ったような奇跡が起きました。彼女は、私が思い描いていた女性像の経験を奇跡的にも体験している女性だったからです。私は迷わず彼女にこの役をオファーすることにしたのですが、彼女のために少しキャラクターを変えることにしました。ジュリーは普段はとても冷静で、落ち着いた女性です。主人公のような激しさ、スピード、残忍さ、暴力性を彼女に体現させる必要がありました。そのため、ジュリーにジュリアを兵士のように演じてもらうために、一緒にたくさんトレーニングをして、体を鍛え、女優の声も鍛えたのです。ジュリーと会う前は、このキャラクターの名前は、最初に会った女性ライダーであるバーヤだったのですが、ジュリーをキャスティングしたことで、彼女の役名もジュリアに変えてしまいました。

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共同脚本家であり、本作にも出演しているアントニア・ブレジ以外で、現場で脚本を読んでいた俳優はジュリー以外にはいないと聞きましたが、それは本当ですか?

その事が、あのようなリアリティをスクリーンに映し出すことにつながったのでしょうか?

 

そうです。ジュリー・ルドリューは脚本を読み、アントニアと一緒に(シーンを演じて)、役のディテールを再発見したのだと思います。しかし、他のプロではない俳優たちには、(実際の脚本ではなく)映画の骨子を伝えることが重要だと思いました。映画の撮影前に集団で合宿をし、ワークショップのようなリハーサルでは即興で言葉を発し、またサンドイッチをたくさん食べ(笑)、アガる音楽も聴きながらエネルギーの泡を作り、キャラクターを作るための完璧な空間を作りました。脚本を演技や演出の手引きにするのではなく、映画と精神的につながっていて、彼らのキャラクターを自発的にクリエイトさせるための不可欠な共同作業の場へと高めていったのです。

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リハーサルでは、神話の口伝で行われていたような方法でストーリーを彼らに伝え、月ごとに段階を踏み、様々な方法で映画表現を実践しました。だから、台本を読まない、このようなアプローチが重要だったのです。私は彼らに独立した感覚を与え、彼らはストーリーを発見するために自分自身のトラックを作りました。しかし、そこには、進化するためのフレームのような空間がありました。次の映画では、このようなやり方はしないかもしれません。なぜなら、この映画は本当に特別だったからです。

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Photo: Rie Odawara

しかし、この2週間の撮影中断の間に、ホテル内に滞在していたライダーたちが、家族のようなつながりや、本当に強い友情を作り上げていたことが、とても興味深く、役に立ったのです。この映画はフィクションであり、あまり現実的ではなく、シュールでありながらスーパーリアリズムのようなものにしたかったのです。ですから色や映画のフォーマット(西部劇で使われるシネマスコープフォーマット)を使って遊びました。その一方で、この映画は表現としてもっと自由でありたかったので、ドキュメンタリーとしても成立させたかった。俳優たちの肉体を追いかけ、目の前のエネルギーに常に自分を向き合わせなければならなかった。ステージや照明などの人工物は用意したのですが、使用したのは自然光、ドキュメントでしたから。私たちはただその空間にいて、俳優たちがシーンを演じているだけなのに、そのエネルギー、強いエネルギー、そして物語の真実をキャッチすることができたのだと確信しています。

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